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大好きな母との関係

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母の日を迎えて思う、大好きな母との関係

こんにちばん!ましろつばさ(@masiroblog)と申します。
今回は今も仲良しな母との、実は複雑な関係性についてエッセイ風に書きました。
読んでいただけると、嬉しいなっ♪

今回の内容は、

・ましろと母の関係性
・ましろが母ラヴな理由
・ましろが後悔していること

以上のことがわかるよ。
ではさっそくいってみよう!

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いわゆる毒親家庭でした。

家族

私はいわゆる「毒親」と呼ばれる家庭で育ちました。
理由もなく怒る父親。
それによって泣く母親。
そんな生活があたりまえでした。

毎日そんな生活だったわけではなく、父の機嫌が良いときは普通の家庭と一緒でした。
お金に関しては不自由したことはなく、本は好きなものを買ってもらえました。

それで自由な生活を謳歌していたか、といえばそうではなく。
精神的にはがんじがらめ、の生活を送っていました。

「親の言うことを聞くのがあたりまえ」
そんな考えをすり込まれて育った私は、いまだにこの思考が抜けません。

それでも大好きな母親

母親

父親は完璧な毒親だったけど、母は割と話がわかる方でした。
そんな大好きな母に、私は小さな頃から1日の報告をするのが癖でした。
今日あったこと、どんな子と遊んだか、学校ではどうったったか。
家に帰って家事をする母の横に立って、よく報告をしてました。

なにかあるたびに父に泣かされる母が、幼心にかわいそうで。
そんな母を喜ばせたい。
その一心で、母が喜んでくれることをしていました。

母が笑ってくれることが大好きで。
母を守らなきゃ。
そう誓ったことを、よく覚えています。

私が母を傷つけた過去

怪我

そんな大好きな母を、私自身の手で傷つけたことがあります。

一時期、精神的にボロボロだったとき、私はひどく落ち込んでいて。
自暴自棄になってバカなことをいろいろしてしまいました。

病気を理由にして、母を裏切るような行為を何度もしていました。
母だけではなく、兄弟や、家族全員に心配されるほどに繰り返し。
それによって母は苦労したし、何度も泣いてくれた。

母を泣かせたくない。
そう誓った私が、母を泣かせた。
その事実が、病気から立ち直った今でも重くのしかかります。

後悔だけが残るんです。

今は、そんな過去を払拭しようと、母を喜ばせるのに必死です。

生きてゆくことは、苦しいこと

鳥

私は人と適切な距離を保つことが苦手です。
それは、小さな頃からの育成環境が原因かもしれないけど。
それを理由に言い訳はしたくないのです。

私の中の幼い私を育てていけるのは、私自身しかいなくて。
傷を抱えつつも、これからも生きてゆくのだと。

今でも母は大好きで。
とても弱い人だから、守らなきゃいけないと思います。

確かに母という鎖はあるけれど、今の私はそれを苦だとは思っていません。
私は私。母は母。
それぞれの人生があって然るべきだと、考えているから。

40歳をすぎてから、いろいろと考えることはあったけど。
母との関係が整理できたのは、私にとって極上の喜びです。

痛みを抱えつつも、これからは自由に生きていきたいです。

ABOUT ME
ましろ つばさ
40歳オーバーしてるのにおひとりさまで自由に生きてます。メンタルサバイバーの私が、どうやって生きてきたか、どうやって生きていくかを考えながら記事を書いてます。