エッセイ PR

初めてピアスを開けた日

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私が初めてピアスを開けた理由

初めまして!私の名前はましろつばさ(@masiroblog)と申します。
これからブログを書き始めようと思い、自己紹介的なエッセイを書きました。
よかったら読んでいただけると嬉しいです。

今回わかるのはこんなこと

・ましろつばさの人生背景ほんのり
・ましろつばさの生育環境ちょこっと
・ましろつばさの人生観チラリ

こんな感じ。
じゃあいくよっ!

 ましろつばさの自己紹介は⇨ こちら

4月のある晴れた日に開けました

青空

私がピアスを初めて開けたのは、2021年の4月下旬。
それまで私は母親の言いつけを守って、ピアスは開けませんでした。

私は、いわゆる地方の。それも平凡な一般家庭で、産まれました。
小さな頃からなに不自由なく育ち、特にこれといって不満もありませんでした。
母が好きで。ちょっと短気だけど、父も好きで。
兄弟仲が良く。みんなでわちゃわちゃ遊びながら暮らしていました。

母親の悲しむ顔をみたくない。
そう思うようになったのは、怒る父と泣く母をみてからだと思います。
短気な父はよく突然怒ったりして、理解が追いつかない時もありました。
でも機嫌が良いときは本当にいい父だったと思います。
親の顔色を伺うようになったのは、この頃からだと思います。

そんな私の人生は、小学生のころにつまづき始めました。

いじめられてた幼少期

ぬいぐるみ

小さな頃からおてんばで。
活発で、木登りをしたり缶蹴りをしたり。
外で遊ぶのが大好きでした。

そんな私が突然事故にあったとき、親はひどく驚いたと思います。
集中治療室に3日間入って、医者からは
「覚悟はしておいてください」そう告げられたと聞きます。
奇跡的に助かり、1ヶ月の入院を余儀なくされましたが元気に退院できました。

それからです。
私の生活が変わったのは…。

私の性格はすっかり変わり、大人しく本が大好きな子どもになりました。
小学校に行っても、教室の隅に集まって話をしているような子。
そんな子の1人になりました。

中学生になってから、なぜだかいじめられるようになりました。
キッカケは今でもわかりません。
そんな学校が嫌で嫌で、たまにずる休みをするときだけが楽しみになりました。

そんな私が変われたのは、中学の友達が誰も進学しない高校に行ってからでした。

明るく元気な高校生時代、ボロボロだった専門時代

学校

高校に入ってから、私は変わりました。

男子が全くいない女子校だったこともあり、男性の教師に歯向かうようになりました。
気に入らないことには絶対従わない。
その信条のもと、教師と真っ向勝負して廊下に出されたりしてました。

そんな私でしたが、高校生になってからはクラス全員が友達。というような感じで。
おバカなキャラで、クラス中から明るい友達認定されるような。
ちょっと目立つ存在になりました。
高校3年のときはクラス委員長とかもしたりしてました。

遊びたいのと家を出たいという思いから、大学には進学しませんでした。
東京の専門学校に進むことを決め、単身上京。
まぁ…いろいろあって精神的にボロボロになって帰郷することになりました。

それからしばらく地元の方に住んでいたのですが。
今現在は、そのときの縁があってまた東京に住んでます。

私は私の道を歩く

道

今までは散々親に甘えてきたし、甘えてもらってた人生でした。
私がいい子にしてたら親は安心する。
そんな変な思い込みがありました。

でも、これからの人生、私は自分の足で歩きたい。

そう強く思ったんです。
そして、その記念にピアスを開けました。

相変わらず、親のことは心配してるけど。
親は親。私は私。
違う人間なんだから、違う人生を歩もう。
そう思うことに決めました。

今までは、親の悲しむ顔が見たくなくて。
散々親の顔色ばかり伺ってきたけれど。
これからは私が思う道を進もうと思います。

このピアスが、私の小さな決意表明

ABOUT ME
ましろ つばさ
40歳オーバーしてるのにおひとりさまで自由に生きてます。メンタルサバイバーの私が、どうやって生きてきたか、どうやって生きていくかを考えながら記事を書いてます。