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8月のある夜、自宅のベランダの4階から飛んだ私

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こんにちばん!なにをしていたんだ?という感じのましろつばさです。
実はちょっと飛びましてね…。ええ。4階のベランダから。
今回は、そんな体験談をエッセイ風にしてお届けしたいと思います。

今回わかるのはこんなこと!

  • 飛び降りるというよりも、飛びたいという思いが強かった当時の私
  • 飛んでから救急車を呼ぶまでの苦労
  • 入院生活での苦労や、嬉しかったこと
  • やっぱ飛び降りはよくないよね!ということ

こんな感じになってます。
では、記事の方にいってみよう!(๑´∀`๑)

つばさ

今回は実体験に基づいたエッセイです。

私の人生の数々のトラウマと、共に生きる私は小さな頃からDVを受けたりして、トラウマを抱えて生きてきた人生でした。大人になってからも仕事や結婚で増えたトラウマ。そのトラウマを抱えたまま生きる人生を、がんばってます。...

3時間しか眠れない日が、2ヶ月続いた8月の初め

当時、精神科の担当医にはずっと「眠れない」と訴えていたのだが。
なぜか睡眠薬を強くしてはくれず、3時間しか眠れない日が2ヶ月続いていた。

8月に入ったあたりから、なぜだかベランダから「飛びたい」という気持ちがわいてきた。
「飛び降りたい」じゃなくて、「飛びたい」なのだ。
なぜだか「飛ぶ」のを想像するのはとても楽しくて。
そのあと傷ついたり、痛くなるという想像は全然しなかった。

「飛びたい」「飛びたい」なぜだか甘い誘惑のように、その考えが頭を占領していた。
私は、飛ぶことによって死ぬとは全く思っていなく、ただ単純に「飛びたかった」。

怪我をすることはわかってはいたので、それから私は入念に入院準備を進めた。
この年になると入院する機会も多くなるので、準備には慣れていた。
入院すると、誰かに身の回りの物を持ってきてもらわなければならない。
そう思ったから、1つ2つのバックに入る誰がみてもわかるような準備をした。

そして、8月13日AM3:00過ぎ。
私はベランダのふちに座っていた。

夜景がとてもキレイで。スカイツリーまで煌びやかで。
なにもかもが完璧のようにみえていた。
「さて、いきますか」
そう呟いてから、1階の軒先を避けるようにして「えいっ」と掛け声をかけて飛んだ。

つばさ

今でも、本当に頭がどうにかしていたとしか思えません!

土の上と、救急車と、親切なご夫婦の助け

ドサッ!
と音がして、私は地面に倒れていた。
暑くもないのに、顔から汁が流れ出てきてて、鬱陶しかったのを覚えている。
(あとからそれは、顔からの出血だったのだとわかるのだけれども)

一瞬息が止まり、大きな声でうめきながら長く息を吐いた。
その後もうめき声を上げたが、誰1人として人が来る様子はなく。
これは、自分で救急車を呼べってことだな。
と、1人理解した。

救急車は一人暮らしを始めてから呼び慣れているので、スマホの電源を入れた。
が、なんと飛び降りた衝撃からか、一時的にスマホが使えなくなっていた。

次に私が考えた行動は、明らかにおかしかった。
いつもなら歩いて3分もかからない、コンビニの公衆電話を使おうと思いついたのだ。

思いついたので、即行動。
立ってみたら、立てた。歩いてみたら、歩けた。
深夜のコンビニへ、血まみれの土まみれで歩く不審者。

コンビニの公衆電話がみえてきたとき、その前で一組のカップルが座って話していた。
気にしないで公衆電話で救急車を呼ぼうと思ったら、カップルの方から話しかけてきた。

「どうしましたか?」
みるからにヤバい人の私に、声をかけてきてくれた。
「救急車呼びましょうか?」
助けもしてくれた。

なんだかだるくなってきたので、
「お願いします」
とご好意に甘えさせてもらった。

カップルはどうやら夫婦だったようで。
奥さんが救急車に電話する間、旦那さんが私に座るよううながしてくれて。
ポツポツと救急車が来るまで声をかけてきてくださった。
本当にありがたかった。

救急車が到着すると、あれよあれよと運び込まれてしまい。
そのときのご夫婦にありがとうの一声もかけられなかったのが今でも悔やしく思う。

つばさ

あのときのご夫婦にまた偶然会えないかな…と今でも思ってます

ベッドの上と、入院と、4人部屋暮らし

救急車の中の診断で、どうやら肺の状態が悪かったらしく、大きな病院へ運ばれた。
救急外来で覚えているのは、ずっとかかってくる流行病に関する電話。
肺へのチューブ挿入の痛さと、何回も同じ質問をされたこと。

「なんで飛び降りたの?」
「いや、飛びたかったんです」
…会話になってないけどこれが正直な答えだったので、何回も何回も繰り返し答えた。

ところどころ記憶は飛んで、ICUに着いて手首を抑制された。
(抑制される前に、身体抑制の同意書に自分でサインをしています)
暴れるかもしれない。点滴を抜くかもしれない。
そういう懸念のある患者には、身体抑制がされる。

ICUには1日いたくらいで、整形外科の一般病棟に移された。
4人部屋で、私以外は全員寝たきりのおばあさまたちだった。
ああ、またか…。私は思った。
入院するといつも寝たきりの患者さんと同室になる。
それは、私が病院に払える金額が少ないせいだった。

4人部屋でも徹底してプライベートが守られるベッド環境で、すごくいい病棟だった。
が、寝たきりの患者さんのおむつ交換の時間だけは、地獄の苦しみのように思えた。
話はできるが、排泄はうまくできないおばあさまもいらして。
看護師さんに手伝ってもらって排泄してたり…。
そんな生活音が、苦しくて、地獄で、仕方なかった。

いっぽう私の病状は、顔が2ヶ所ほど深く切れていたので5針縫った程度と。
右肺が破裂して気胸を起こしていたのと、右足に重度の打撲だけという軽症っぷり。

当初は歩けなくおむつ生活だったが、車椅子の許可が出たら車椅子で移動できたし。
途中からは車椅子も使わず、自力で歩行もできていた。

そして、なんだかんだ2週間ちょっとで退院できてしまった。
おむつ交換タイムの地獄から抜け出せたときの喜びは、今でも忘れない。←そこ?

つばさ

看護師さんと仲良くなって、退院するとき手紙もらいました!
人を人としてみてくれる、いい看護師さんのいる病棟でした。

飛び降りとは死と隣り合わせ、甘く考えてはいけない

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私は、悪運が良かった。ただそれだけ。
4階の高さから落ちたのに、ほぼ軽症で済んでしまったし。
4階の高さから落ちても、十分死ぬことはある。
と医者がいっていました。

「飛びたい」という想いは、いまはどこからきてたのかわからない。
ただあのとき、あの時期は、無性に飛びたかったことだけは覚えている。

いまはもう「飛ぼう」とも思わないし「飛びたい」とも二度と思わない。
だって飛んだあと痛かったから。(笑)

死ぬとは一切思わずに飛んだけど、私は一応クリスチャンなので寿命で死にたい。
そのためには、神さまから与えられた残りの人生を全うするしかないのだ。
それが、私が信じる神さまが決めた、私の人生なのだから。

いま、飛び降りたいと思っている方は、しばし思いとどまって欲しい。

あなたのその行為によって、泣く人は?悲しむ人は?
ご両親は、ご兄弟は、どんな思いをされるのか?
いま一度、冷静になって思い巡らせてみて欲しい。

普段あなたは気づかないだけで、あなたは十分に愛されているのだと、私は思います。

つばさ

あなたは愛されるために生まれたんだよ〜?

女の子でいたくなかった過去の私 こんにちばん!ましろつばさです!昔、女の子であることが死ぬほど嫌だった私。そんな私が現在、女性であることをどう思っているか?と...

ABOUT ME
ましろ つばさ
40歳オーバーしてるのにおひとりさまで自由に生きてます。メンタルサバイバーの私が、どうやって生きてきたか、どうやって生きていくかを考えながら記事を書いてます。