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30歳のときに自殺した理由と、いま感謝しつつ生きられている理由

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こんにちばん!ましろつばさです。
クリスマスなのに、重い話を書きました。
いまつらい人死を考えている人、そんな方に読んでもらいたい内容です。
長文ですが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。

この記事を読んでわかること

  • 精神的に無理な環境が続くと人は死を選んでしまう
  • スイッチはいつ入るか本人にもわからない
  • 自殺しようとした人にさえ、医療者の方は全力を尽くして助けようとしてくれる
  • 自殺から助かった私が、これから生きていくということ


以上になります。
それではいってみよう!

つばさ

今回もかなりハードな内容になっております。
でもこの記事を読んで支えになる方がいると、嬉しいです

あわせて読みたい⇨ 人生において大切な3つの選択

30歳のときに私は自殺をしました

それは、結婚して2年目のころ。
降って沸いたような、義父との同居生活の始まりから2ヶ月目のことでした。

明け方に、致死量の薬を飲みました。
そのとき利用していたTwitterとアメブロに死ぬと書いていたようです。

発見したのは、寝ていたはずの元夫。
なぜか起きてきて、パソコン部屋を覗いたら、私が倒れていたそうです。

結果として発見が早く、助かることができました。

そしていま、こうやって生きているわけですが。
あのころの苦労を思い出しつつ、いま生きている感謝を書きたいと思います。

絶対的に性格の合わなかった義父との強制同居生活

義父の借りている家が壊される。
そんなことがキッカケで、義父と元夫の3人の生活が始まりました。
(義母は元夫が若い頃に亡くなったのでいません)

義父は自己中心の塊みたいな人で。
ときに私を茶化して遊ぶという陰険な性格もありました。
それがわかっていたので、同居前は義父とは最小限の接触しかしませんでした。
でも元夫は私の反対を押し切り、同居生活は始まりました。

それなのに、元夫は引越し費用、借りる部屋の申請に通るような貯蓄は一切持っておらず。
完全に私の貯蓄をあてにした引越しでした。
最初の時点で最悪だったことを、なぜ私は気づかなかったんだろう…?(笑)

同居を始めてからがまぁ大変で。
何度いっても義父はトイレの使用後に水を流さず。
私と顔を合わせると嫌味をいってくる生活。
当然ですが、部屋に閉じこもる生活になりました。
その当時書いていたアメブロとTwitterだけが吐け口だった。

つばさ

あのころのことは、本当に思い出したくない。
完璧にトラウマになっています。

ついにその時が来る


2ヶ月
同居してたった2ヶ月で、私の精神は壊れた。

全く合わない義父との生活。
帰ってくるのは21時過ぎがあたりまえの元夫。
夫婦の会話なんてまるで無かった。

ある夜更けすぎ、私は薬を飲んだ。
貯めていた強い薬を、何シートも飲んだ。

もう何もかもどうでもいい。
死ねる。
それだけが幸せだった。

ただ、世の中には偶然というものが存在するようで。
なぜか先に寝室で寝ていた元夫が、起きて私を探しに来たのだ。
それからは救急車を呼んだり、いろいろあったらしい。

救急病院に運ばれた私は医師の努力の甲斐あって、蘇生したのだ。

つばさ

このときのこと、実はよく覚えてないんです。
強い睡眠薬を飲んで寝てからの行動だったんです。
本能的にもう無理だと思ってした行動だったのかな。


救急病院での3週間のICU入院生活


ICUに入院していた間の記憶は朧げ。
どれが現実で、どれが幻想なのかハッキリと記憶できてません。
ICUの看護師さんと仲良くなった覚えがぽやんとあるくらい。

まず、運ばれてから私は2度、肺呼吸が止まりました
その度に挿管されて、人工呼吸器をつける状態に。
もし3度目に呼吸が止まったら、どうなるかわからない。
そう医師に言われていたのに、その3度目は来なかった。

肺で呼吸できるようになったというか…意識が戻ったというか…。
なんでなのか理由はわからないけど。
意識があるときの吸痰は、目がチカチカして、泣くほどつらかった。

抜管して、肺呼吸ができるようになったと思ったら、今度は声が出なくなった
耳鼻科の医師の診断では、声帯が機能していないといわれた。
もう一生声が出せないのかと、泣いた。

しかし、いま私は声を出して話せることができる。
入院3週間目ぐらいに、カスカスで小さいけど、声が出せるようになったのだ。
耳鼻科の医師にもう一度診断してもらうと、声帯が動いている。奇跡だ!と。
普段よっぽど良いことをしてたんだね
と、声をかけてもらったことを、いま思い出した。

ICUでは私の身の回りで、他にもいろんなことが起きた。
個人情報に関わることなので書けないが、いろいろな人と会い、関わることになった。
あの時があって、今があると思っている。

つばさ

数々の医師をビックリさせた奇跡。
それは1つではなかったり。
この3週間は本当にいろいろ濃密なときでした。

これからも生きていくということ

私は入院歴が多い。
足の骨の腫瘍を取るための入院をしたり。
肺炎になって入院したり。
精神的に荒れてたころは、精神科の入院歴も多かった。
その度に、看護師さんや医師の助力があった。

いま生きている事は、その方々の努力を無駄にしたくないためだ。
私は、私のために生きているんじゃない。
医療従事者の方の努力の末に、生きているんだということを。
それを忘れないためだ。

死のスイッチが入ってしまうことは、突然で。
それは本人にも予測できない。

だけど私は、努力の上に生かされたのだから。
その分、生きなくては。

生きるということは、私にはとても大変で。
1日生きられただけでも万々歳なのだ。
それを、これから何年かかるかわからないが、積み重ねていく。

生きるということは、日々の努力の積み重ねなのかもしれない。

つばさ

こんな長文記事を読んでいただきありがとうございました!
今度はもっと明るい記事を書けたらいいな♪

ABOUT ME
ましろ つばさ
40歳オーバーしてるのにおひとりさまで自由に生きてます。メンタルサバイバーの私が、どうやって生きてきたか、どうやって生きていくかを考えながら記事を書いてます。